鋏職人になった理由(忘れられない話)

こんにちは

京都はさみ職人 オオタトシカズです。

略して、オオタです。

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好きな女性のタイプは、変な声の人です。

ちなみに、

奥さんの声は、

普通の声です。

理想と現実は違うものです。(笑)

さ、

て、

前回、鋏職人になった理由は、

「なんとなく・・・・といいかも、」と思ったからと書かさせていただきました。

なんとなくだと、

わかりにくいので、

あえて説明すると、

・職人に対してあこがれがあったから。

・マイナーだから、一番になれるかもしれないと思ったから。

この2つでした。

で、

今考えると、

もうひとつ、あったのを思い出しました。

はさみ職人をやろう!と思ったとき、思い出した話です。

これは、

僕が高2春休みのとき、

正確には、

高1の三学期の終わり、

球技大会で出ようと思って、

サッカーシューズをはいて
(サッカー部でした)

急いで校庭にでようとしたとき、

階段で靴ひもがスパイクにひっかかり、、、

スローモーションで、

柔道の前回り受け身を取りながら、

転がり落ちたことがあります。

このとき、

見事な前回り受け身をしたのは自信はあるのですが、

はじめに右手を着いたとき、

階段に変なふうにあたり、、

右手首を脱臼骨折してしまいました。

スゴく痛かったです。

友達から「オオタ大丈夫か?」と聞かれ、

「駄目だ!」と言ってました。

本当にダメなときは、強がることもできないものです(笑)

友人に肩を借りて、保健室直行でした。

(その後、先生の車で接骨院に直行しました)

この暇な時期だったと思います。

テレビばかり見ていた思います。

 

メガネ屋さんの話でした。

戦後のまずしい時期です。

社長さんは、戦争から戻ってきて、

お父さんの代からやっていたメガネ屋さんに戻りました。

食べるものがない時代です。

メガネが売れれば、よかったのですが、

なかなか売れませんでした。

そんなとき、

「メガネが壊れたので、新しいのがほしい」というお客さんが来ました。

そのメガネをみると、

耳にかけるところが壊れていました。

そのとき、

メガネ屋さんの家でも、食べるものもなく、不自由をしていました。

やっと、

お客さんがきてくれて、

新しいメガネを買ってくれる・・・・・

家族に食べ物を買ってあげることができる。

でも、

そのメガネは、

修理すれば、また使える状態でした。

メガネ屋さんは、

正直に、「買わなくても、修理をすれば、まだまだ使えますよ」といい

修理をしてお客さんに渡しました。

 

そんな放送だったと思います。

 

当時、

僕も、

目先の利益に走ってしまうのはどうかと思っていました。

お客さんに対して、正直に仕事をしてこそ、お客さんに応援してもらえる、

将来、そんな仕事をしたい。

そんな風に思っていました。

 

で、

僕は、

メガネ職人にならず、

ハサミ職人になったわけです。

 

目先だけの利益を追わず、

長い目でみたとき、良かったと思えるような、、、そんなのがいいなあと思っています。

 

 

 

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